昭和45年01月03日 朝の御理解                       


 御理解 第90節
 「上から下へ水を流すのは見易いが、下から上へ流すのは難しい。道を開くというても、匹夫の凡人から開くのじゃから、ものが難しゅうて暇がいる。神の御陰で開かせてもらうのぞ。たとえ、一時は難しい事があっても 辛抱して行く間には御徳が受けられる。」
 まあ、言うならば当たり前の事が、言うてある感じなんですね。当たり前の話だという、上から下へ水を流すなら見やすいけれど、下から上へ水を流すのだから難しいと、当たり前の事ですよね。あともうちょっと届く所も、成程 成程とそう難しいことない事が書いてある。ただ、一時は難しいことがあっても、辛抱して行く内には徳が受けられるという、ここの所は辛抱して行く間には徳が受けられるというのは、これは、どういうことだろうかと、こう思いますね。
 辛抱しとったってまあ徳が受けられるといや勿論 信心のことです。信心を抜きにして 如何に粘った所で 頑張った所で 辛抱した所で御徳が受けられるとは思われませんからね。だからこのまま 神様におすがりをして、その前にございます。神のおかげで開かせてもらうのぞ。という神様の御陰に選らなければ、頂けんのだ、開けんのだと解らせてもろうて辛抱するね。辛抱して行く内に徳が受けられる。
 徳を頂いての生活 それを久留米の初代は「この世は、徳の船に乗って渡れとこう仰せられた。普通ではいけない所に行けね。普通では叶わない事が成就して行くと言う訳なんですね。徳を辛抱していく内には徳が受けられる。成る程 久留米の初代 信心辛抱という事を二代金光四神様から、頂いておられますように、信心辛抱しときゃ物事整わん事ないぞと ご自分もそれを確信して居られる。
 又信者に伝えられるのもまず久留米で頂く御理解は、まあこればっかりというても良い位のようですね。「辛抱しなさい。辛抱しなさい。」久留米にささえさんという熱心な総代さんが居られます。こっちは、お母さんの信心で熱心に信心をされるようになられる。若い青年時代からお引き寄せ頂いておる。やはり頂かれた方は「ささえさん辛抱じゃ、ささえさん辛抱じゃ」といつも辛抱じゃという事を言わっしゃった。
 家具やさんですから、色んな外交に回られるね。そのお願いに行かれるとね。外交に行くよりか教会に注文取りきなさいちおっしゃられたそうですね。これが私の一生の信心の基盤になっておると言うて話されますね。始めの間は解らなかったけれども、注文取りには教会に注文取りにきなさい。おかげ頂いて私の方は、まあ外交を使わんでもすててて回らんでも いわゆるお客さんの方から 注文を言えばもって来てくださるようなおかげを頂いたと、その当時話されて居られましたね。
 教会に注文取りに来る。中々味合のある事だと思いますね。信心を本当に信心の新味と言うかね。こう解らせて頂くとその辺が解ると思う。この辺の所が難しい。(笑い)注文取り教会にばっかり参ってけと言うんです。成る程、その間には大変難しいことが有っただろうと思う。 教会に注文取りにいったら、内にはもう注文きとったとそう簡単な、ことばっかりはなかったろう。
 そこの所を辛抱して行きよって、要約初代の石橋先生がおっしゃりよった事が、何十年もの今日、それが解らせて頂くと言うであろうね。外交に出らなくても、いうなら家で注文に来て下さる方達で、おかげを受けておると言うわけですね。これは、私はある意味でのお徳だと思いますね。注文取りに外に出らずに、教会に来いとおっしゃた。そのときには、実に何かこう空しい感じですね。
 教会からどんどん注文を発しなさる訳でも、頼まれる訳でもないのですから。けれども、そこを辛抱していく内には、やはりね、難しい事も有ったろう。本当に半身半疑で「親先生は、ああ仰るけれども大丈夫だろうか」と不安な時も有ったろう。起きて来る一つ一つの問題をです。御取次ぎを頂いては行くもののです。やはり難しい事が有ったろうけれどもです。そこの所を神様に縋って辛抱して行く内に、神のおかげで開かせて貰うのぞという事になって来たね。
 同時に辛抱して行く内に、徳が受けられるという事になって来た。自分がおかげをそのようにして頂いて行かれる。もうそれこそお仕事の事はそっちのけ もう神様事に、こと神様事と言うたら打ち込んで行くね。今度の出社が三十何カ所か有リますでしょうが、その三十何カ所をですね。一軒一軒周られた最近の各教会の御比礼がある意味で地に落ちて来ていると嘆かれた訳、私ども信者 私どんですら、こうやっておかげ受けておるのにと言うてお話しをして廻られたという程しにおかげを受けられた。
 そして佐々江さんの話を聞いて奮発した人が幾等もある。話を聞いて教会長先生が、「佐々江さん、あんたが言う通り」と言うて、いよいよお取次 精進されておかげを受けて行きよるという知らせが、段々出来たという程しにおかげを受けてきた。その元に成ったのは..ね。教会に注文取りに来い。外に行くよりか教会に注文取りに来い。ですから、本当に仕事がない。
 注文が無い時には、もう日に何回か教会に御参りにされるような事もあったろうと思います。私はそれは想像ですけど、これも私の体験からもそうですもんね。どうにも仕方のない教会に何回も何回も、お百度踏むようにしてお参りする。朝参り昼参り夜参り教会に一生懸命注文取りに行かれる訳ですね。そうしたから、すぐと言う事じゃなかったけれども辛抱して行かれる内に、神のおかげで道が開けて来た。
 辛抱して行く内に、身に徳が受けられた。「佐々江さんの話を聞いて、徳を信心を導かれたと言う人は幾等も有ります。ですからこりゃ成る程当たり前の事なんです。上から下へ水を流すのは見やすいけれど、下から上へ水を流すと言う事は難しい。信心して徳を受けてお蔭を受けると言う事はそのようなもの。ですからねもう疑えば限りが無いね。そげん教会ばっかり参よったっちゃ、靴は棚に上げとかんならん。
 あ神様にお願いせなならん。御参りせなならんことは判っているけれど、そう金光様金光様と教会にばっかりとまあ そういう風な思い方する人には、ここは分からない事になりますね。同時に私はね。八十九節のです【此方の道は傘一本で開く事が出来る。】いと簡単に、こう仰っておられます。傘一本で開く事が出来る。問題はその傘一本が難しいのであるね。その傘1本を頂く為に九十節はあるね。
 辛抱して行く内に徳が受けられるとか、神様のお蔭で道を開かせてもらうのぞ。そこに久留米の初代の信心辛抱という四神様が石橋先生に仰っておられる。「なあ石橋さん辛抱さえしておれば物事整わん事無いぞ。」と仰った。もうそれがもう初代の石橋先生の掛け守り、ご自身がそれで頂き貫かれるお蔭を受けられて、いわゆる神のお蔭で道を開かせて貰うのぞ。と言う実感を日々感じておられた事であろうとこう思ね。
 成る程、自分の思うようにならないけれども、思うようにはならないけれども、そこに成る程、神様のお蔭で道を開かせて貰いよるんだな。神様のお蔭と思わなおられん。言わなおられん。という実感の中にそういうお蔭を受けておい出られたんだろうと思う。甘木の初代が、何十年かの記念の時ご挨拶なさいます中にですね。「何十年という ここ記念祭迎える事に当って、こんなに有り難い目出度いことはないしかもこのような沢山の人が助かり、有り難い」とね「けれどもこういうような道がです。
 私が神様に願ごうて来た事が、一々成就して居ったら こう言う道は開かれなかった。」と仰っておられる。安武松太郎、私が神様に願わして頂いた事がです。一々成就しておったら今日の、安武松太郎もなから無ければ、今日の甘木の教会もないと仰った。その間がです。ここの所だと思う、ね、けれども、神様の自分の願いじゃなくてから、願わんでも神様がです。
 こう道を開いて下さる、その働きというものを実感して行かれた訳です。そして自分の夢にも思わなかったような道が展開開かれてきたね。その間に成る程、神様におすがりしておけば、辛抱さえして行けばね。神様のお陰を頂かねばどうにも出来る事ではないと、分かられた所からです。生まれてきたのが確信であり、その次に受けられておられるのが、私は傘一本である安心であるね。
 その安心成る程、だから、その間ならどういう事に成っておるかというと上から下へ水を流すような事ではなくて、匹夫の凡ぶ、凡人のことであるから難しいと仰ったが確かに下から、下から上へ水を流すように難しかった。ほなら、下から上へ水を流す程の難しさという事は、どういう風に実感しておられるかと言うとですね。【信心とは、和賀心が神に向かうのを信心というのじゃ。】という実感。
 信心とは和賀心が神に向かうのを信心というのじゃ。とおおせられる。ですからほなら自分の心が神様に向こうて行くのを信心というのじゃと、一歩一歩神様に近づいていく事を信心というのじゃと言う所をです。ほならどのような状態でその一歩一歩を踏みしめておいでられたかと、只辛抱するだけじゃなかった。いわゆる久留米の初代がおっしゃる信心辛抱であった。
 その信心辛抱とはどういう事であったか、我が心が神に向こうのをと、一歩一歩を神様に近づいて行きよる自分という者をです。確かめ、確かめしておいでられた。これが信心辛抱なんです。只辛抱さえしときゃちいいう事じゃない。一歩一歩神様に近づいて行きよる自分が感じられる。だから、今度はそういう神に向こうて行く過程と言うものがです。神に近づいて行くという事がです。
 どのような信心からなされたのか、というとですね。我情我欲を捨てて真の道が分かっておいでられたということになります。その間にですよ一歩一歩神様に。何十年信心しよりゃ神様になれるというのではないです。その一歩一歩踏みしめ、踏みしめ登らせて頂く道とはです。我情が我欲の段階がです。一つ一つ無くなって行く。少のうなって行く。それが実感されていた。
 自分でああしたい、こうせじゃこてもう、自分の言う事聞かなかったら いらいらして、もやもやしよったという自分がです、もうそういうあぁしてくれとか、あぁあるといいと言った様な思いが無くなって来。た。所謂我情が無くなって来た。あれが欲しい これが欲しいと言ったようなね。惜しい欲しいが段々影を細めて来た。有り難いねそこの所がです。何年前の自分と今日の自分というものを思い比べてみてですね。
 その我情我欲が無くなって行く。そこから分からせて頂くものは。【真の道】我情我欲を離れて真の道を開きみょ。我情我欲を薄..段々薄いものにしていかんと、真の道というのが解らん。本当のことがね。これはもう本当にそうです。本当の事がですね、いわゆる我情我欲に幻惑されるんですよね。ですから本当の事が解らなくなって来るんです。確かにそうです。ここの所が尊い信仰体験だと思うですね。
 一歩一歩成る程下から水へ上へ水を流す程に難しい。難しいけれどもです自分のその我がですかね、欲がですかね。一歩一歩取れて行きよる。外れて行きよる自分を感じる所からですね。「有り難いなあ こりゃ有り難い事になってくるぞ、有り難い事に成って来たの。」と言う事に成るのですよ。だから信心は、もうそこの所に精進しなければ駄目なの、本当に もういくら参たって、御拝だって駄目ね。
 昨日、御祈念の後に吉井の羽田野さんが、お参りして先生、今朝方から御神夢を頂きました。御夢の中に親先生が現れて下さってから、あのし切りに私に言うて下さる事が、あちら皆さん御承知のように、中々画号ですかね俳号というですか、雨京さんと言うんですね。雨の京都の京と、もう俳句仲間では雨京さんで通って居られます。中々の女俳人ですね。あのう、まあ良い句を作られます。
 ですからそういうその素養が有りますから、やはり神様が教えて下さる事もそのような事。それをハッキリ親先生がですね、仰って下さったことはですね。《欲のもの、それぞれにあり》と頂いた 欲・我情我欲の欲ね、我・我情の我 欲の我のそれぞれにあり何々と仰ったけどもそこんとこがどうしても分からなかったとこういう。そいで先生短冊二枚持って参りましたからその後の所をです。
 親先生貴方が夢の中で教えて下さったのですけども、分からなかったんですから、後の所をどうぞ付け加えてくださいと言うて持って見えた。こっちはそんな心掛がないとやけん分りゃせん。これは一つ神様に御願いさせてい頂いた、そしたらね、こう言う風に頂いた【欲の我の それぞれにあり 玉ゆらら】と頂いた。玉ゆらら所が意味がこっちは判らんばってん、それこそ雨京さんがそれを見てからです「はあ大変な素晴らしい句だ」と言う訳なんですよ。こっちは判らん。
 いわゆる人間の頭から出てくるような言葉じゃないと言うこと。意味は判らんですけども、この玉ゆららでこの句が引き締まったというわけなんです。欲の我のそれぞれにありたまゆららですからそのことの意味はどういう事だろうかと私は、又神様に御願させて頂いたらね。【徳に消ゆる】と頂いた。徳・御徳に消ゆる・消ゆるね、点滅する事。消ゆる私共がいわゆる我情のために、我欲の為に苦しむ。
 それが今日の御理解何ですね。もうそれこそ 変てつもない当たり前の事を言うて居られるといったような感じの九十節の中からです、そりゃもう上から下へ水を流すのは見易いくさ、下から水を流すのは難しい事は分かっとる、というようなことですからね。只、しかし、ここん所に一番最後に、一時は難しいがですね。一時は難しいことがあっても辛抱していく内に徳が受けられるという所に。
 この九十節の御理解のみそが有ると思うんですね。ならそれは徳が受けられということはどういう事かと言うと、傘一本で開く事が出来るという仰るその傘一本、いわゆる確信、確信と言う傘、安心と言う傘ね。そこに無念で済む世界が開けて来るわけです。どのように腹の立つような問題が起こってきても、腹を立てんで済む世界がそこに有るのです。普通ならイライラする所がです。
 イライラせずに心穏やかにその事が思えれるお陰を受けられるのです。そこで私共は自分の心の中から、我情我欲を離れて真の道を開き見よと仰る我情我欲が、離れて行くことが分かってくる。わかりょらんごたある、御理解はあげん素晴らしい、私は大体は噛んで含めるように、自分ではお話してるつもりだけれども、ある人は親先生の話は文高かち文高いちいうのは難しい。私がそんな文高い話は出来る筈はないですね。
 そんな難しい事を知っておるわけもないですから、けれどもほならある人達には、やはり文高なわけなんです。難しか難しいから、ほなら頂かんでよかかと言うと頂いて居って分からんけれども有り難い。昔もう、二十年も前でしたよね。荒木さんて言うてもうこれ完全なるつんぼ、耳が聞こえない。結核から来たそのものですね。耳が全然聞こえない。非常に気が利いた人でした。
 ここで椛目時代に修行させて頂きまして、大変おかげを受けた人です..ね。こうやってね、朝の御理解、次月祭の時のですね、お説教が皆頂いて、一番前で頂いてる。もうそれこそもう私の顔こう見つめながら頂いてる。この人このちった聞えよっじゃろうかと言うごとこうやって聞く。そして、涙ポロポロ本当に有難い所はです,涙ポロポロ流しながら聞きよったですよ。ですから。
 いかにお話が文高ろうが,難し事を言いござろうがです..ね。いわゆる神語り,神様のお話がね,段々こう進んで行く内にです訳は分からんけれども,有難い。雰囲気がかもして来るのもと云う事になるかも知れませんね。そういう時にです,有り難涙が流れておる時にです 訳は分からんけれども。有り難涙がこぼれておる時に,いわゆる【欲の我の それぞれにあり たまゆらら】なのであるね。
 自分の心の中にあった我情我欲がですね,その徳の光に消えて行きよる。一番皆さんも実感的に感じられておった事は,三代金光様がお出での時分にですね,こうして毎月御本部月参りさせて頂いた,金光様は何も仰らん。お取次願ごうたら 只「はいはい」と仰っただけだったけれども,金光様のお姿がチラッと見えたら、どんなに眠たかっても。あの祭典中にですね。
 もうピシーッと何か新しい血が身体全体を走るような思いがしましたでしょうが、金光様の御姿がちらっと見えたら、もう何にもそれこそ欲も徳も無いごと成ってしまいよった。あれは、徳の光に私共の我情我欲が消えて行きよる姿なんです。そういう意味に置いてです、私はこの朝のひと時の、この雰囲気の中にですね私共が浸らせて頂く、そりゃ解っても解らなくても、それは眠って居ってもね。
 我の欲のそれぞれに有ることは有るのだけれども、それが何時の間にか消えて行く。いや、その時だけは確かに消えておった。それを繰り返しして行く内に、心がいうなら魂が清められるのですね、私共の心いわゆる玉である、心の玉はそれこそ、揺ら揺らしておる。いつも迷いに迷いね けれどもですね こうして有り難いひと時を頂いて居る時にはです、それが、清まっておる、又帰って来るとまた揺らいでおる。
 けれどもそれを百辺も千辺も繰り返させて頂いておる内にです、私の心の中がいやかっこたる確心、又は安心ね、そしてその間に生まれて来る信仰体験によって神のお陰で開かせて貰うと言う事が分かって来るね。何とはなしに有り難いという事に成って来る。何とは成しに。夢にも思わなかったようなお陰が開けてくる。安武松太郎が願うた事がいちいち成就しておったら。
 現在の安武松太郎も、現在の甘木の教会も無いと仰せられた 安武先生のおっしゃっることがよう分かる、そうして行きよる内に、辛抱して行きよる内に、何時の間にか自分が徳の船に乗っておったと言われるのが久留米の初代ね。その間を辛抱していきよるうちに、何時の間にか自分が夢にも思わなかったような事が展開して来た。そしてあの 甘木大国と言われたあの甘木の御比礼が輝いたね。
 だからそこん所に一番矢張り望まれるのはです、辛抱して行く内にといわっしゃる辛抱、勿論信心辛抱何ですね。同時にここでは訳の解らんなりじゃない。訳を噛んで含めるように教えて下さるからね、頭でも解る心でも解、五体でも解るね。そうして私共が一歩一歩いわゆる神に近づいて行くということの楽しみ、喜びをです味合わせて頂きながら一歩一歩和賀心が神に向こうて行く事の信心を頂せて貰うという事になるね。
 そこでまあ結論的に申しますとですね、その間の信心辛抱して居られたのかと まあどういうような事にならなければ成らないかというとです..ね、私は節を大切にして行くことだと思います。辛抱して行く内に様々な事があるけれどもと教祖様ここに仰っておられますね。一時は難しいことが有ってもとね。一時は難しい事が有ると言うことがです、一時は難しいということがあるという事が節なんです。
 信心を進めて行く節なの、だからその節をいい加減にしたんでは駄目なんだ。その節を有り難い物していく。その節を抜け来る為に元気な心がいるんだね、そしてそこを乗り超えた向こうにですね、その節から芽が出る、その節から又伸びると言う一段神様へ近づいて行ける道がそこにあるわけなん。これは。私のもう何十年前の事でございますけれども、私の机の前に座右命ね節を、大切にしていく人は伸びると自分で書いてから目玉にはっとった、そいうようなことは、長年の間それを見続けてきとります。
 思い続けてきとりますから、私はいよいよ信心に打ち込んだ時です、確かにその節を有り難く、しかも尊いものに私は受けぬいてきた。その都度都度に、節の都度都度に、節から芽が出た、節から枝が栄えてきたということが、合楽の場合言えるです。その節をいい加減にして何十年信心しよりますと言うてもですそれではお陰になならん。私共が只辛抱していく内に、信心の稽古させて頂いておる内にですね。
 例えてここで言うなら、朝の御祈念のこういう雰囲気の中にです、訳は分からんけれども、清められて行きよる、それは、[たまゆららの]ような事なのだけれども、やはりその時だけは涙が流れる程に有り難かった。訳は分からんけれども、清まっていく自分が感じられた。家に帰ったら又汚れてる又出てくる。そう繰り返ししていく内にです、いつの間にか一歩一歩神様に近づいて行っておる自分、いわゆる我情が我欲が自分から外れていっておる自分をそこに見る事が出来るのであるね。
 それと同時に例えば、様々な意味、角度からですそのことに、取り組ませて頂いておるお互いでございますから、形の上においても 頭の上においてもね、五体を通してからでも 神様に近づいていく。【信心とはわが心が神に向こうことを信心というのじゃ】と仰る信心がだんだん成就されていくね。そこからのおかげの展開を、願わせて頂くという事が、金光様の御信心。
 それからの御陰の展開と云うのは、とてもとても私共の願うた事じゃない、思いもしなかった、いわゆる夢にも思わなかったような御陰がそこから生まれて来る。佐々江さんの初代から頂かれたというね。「佐々江さん注文取りには教会に来い」と仰ったとそれなんだね、いかに教会に注文取りに来ても、いかに教会にお参りして御願いをしてもです。誰も注文に来なかった。
 頼みもしなかった時代もあったろうけれどもです。それが長年信心辛抱していく内にです、親先生の仰った事が今にして分かるといわれる。いわゆる夢にも思わなかったような御陰が佐々江家具店に展開して来たね。私はそういう御陰を受けるという事がですね。有り難いいわゆるお徳を受けて、そのお徳にとものうて来る御陰。私は今日程この九十節をなんと変哲もない。
 理解じゃろうかと頂いた時に感じた事はなかった。ここはもう何十回頂いたか分からんですね。この九十節だけでも、その時まあ一言一句頂く時にホンに有り難い。「あぁ成る程こういう所にこういうものが潜んどった思うように有り難く感じられた、今日は本なごとこりゃもう当たり前の事、当たり前に言うて居られるだけでとこ言う様な感じだった。けれども辛抱していく間には徳が受けられると。
 ほなここん所だけを今日は検討していこう。そこん所を深めて参りますと今日の様な御理解に成るのでございますね。どうぞ傘一本で開ける道如何にもいと簡単、実を言うとその傘一本が難しい。そこん所を辛抱し信心辛抱の徳によって受けさせて頂く、矢張り信心のそこの所の楽しみがです、喜びが感じられる御陰を頂きたいもんだと思うですね。
   どうぞ。